上西伸弘とNormanそしてREAL JAPAN
今日までの軌跡
○ アパートのあっせん業務 1993年2月~1994年3月
ひとりの営業マン上西伸弘、ニッショー(賃貸仲介業者)に入社。名古屋市中区の限られたエリアの物件を扱い、企業内転勤、学生、水商売を対象にアパートのあっせん業務を学ぶ。いかに効率よく成約に導くかを課題にし、1年間で300契約の業務をこなす。業務とは主に、一般客からの反響電話に応じ、来店を促し、店舗にて接客し、物件を見せて廻り、成約し入居させる。その間家主側との折衝、契約、決済など同時に進行するあっせん業務全般の経験を経る。
○ 外国人向けの営業 1994年4月~1995年3月
外国人向けに営業する任務を与えられる。この時からNorman(ノーマン)と名乗る。外国人向けのパンフレットを作成する所から始まり、外国人の所属しそうな、市や県の教育委員会や大学等に営業を重ね、結果、英語の先生や留学生の契約を得る。最初は英語でアパートについてどう説明するかを工夫する。しかし最も重要だったのは英語ではなく、顧客の欲する物件だと分かる。この時の顧客は40㎡ぐらいで6万円、エアコン付きで礼金のないモノを望む傾向にあり、つまり礼金とは何かと英語で説明する技術よりも、礼金を無いようにする技術が重要だ、と気づくのに1年を費やす。徐々にコツをつかんでそのような物件を確保し、あるいはその条件に近い物件の家主と交渉する事で、よりよい物件に仕立て・確保し・紹介するという手法を取る。同じような趣向の顧客を対象に、同じような条件の物件を紹介する事で成績を上げるも、日本人向けに業務をしているのに比べて10分の1ほどの売り上げ数字しか残せず。
○ 商品の拡大 1995年4月~1997年3月
領事館と外資系企業の存在を知り契約に着手する。領事館は、手数料、敷金、礼金をゼロにしなければ契約が出来ないというモノ。かつ家主側(管理会社側)の所定の賃貸借契約書の文言に、しかるべき修正をかけなければ合意に至らないというモノ。賃貸住宅の契約でそんな交渉は当時在り得ず、領事館職員は止むを得ずホテル住まいしていた。アパートに住むのをあきらめてホテル住まいする職員を対象に、物件の発掘、家主との交渉に取り組み、ひとつづつ成約に結ぶ。初期の頃は通常の英語の先生を扱う時の5倍ほどの手間がかかる。次に外資系企業の契約。こちらは家賃30万円以上の高額物件で、やはりそのような物件を発掘するのに時間がかかり、そのような物件が名古屋にも存在している事を、徐々に把握し、それぞれの家主と人間関係を作り、成約に繋げる。これらふたつのタイプの顧客を成約していく事によって、今まで名古屋市中区しか対象にしていなかったエリアを、愛知県全域に広げる。さらにこれらの顧客からは、家具や電化品をリースする事も連結してサポートするよう命じられる。住宅の選択だけでなく、家具家電も選択し、搬入日の調整を住宅の入居日に合わせ、契約日や入出金日を管理するという、難易度が高いモノになる。顧客とのコミュニケーション全般のサービス向上と、スケジューリングの技術を得る。
○ ライバル業者の存在 1997年4月~1999年12月
外資系企業の契約数が増えるに従い、ライバル業者の存在が視野に入る。顧客を奪い合う。その業者はH&Rコンサルタンツ。経営者はアメリカ人。当時は、外資系企業からも家主からも酷評だったが、契約はなぜかその会社に流れる。Normanは外資系企業向けに成果を上げてわずか5年で行き詰まるが、その会社にヘッドハントされる事となる。
○ ライバル業者の社員になる 2000年1月~2002年1月
H&Rコンサルタンツの部長として仕事をする。
大きな収穫は、彼らの積極的な営業力から進化した、日本全国をカバーし得るリロケーションサービスのノウハウ。それはアパートのあっせんを柱にするのではなく、外国人顧客と同行して日本に赴任する事全てに関わり秘書的なサポートをする、というリロケーションサービスを学ぶ。更にもう一つは、顧客としての外国人と接するだけでなく、同僚としてつまり、外国人上司および外国人部下と接し、外国人に対する理解を深くする。
○ REAL JAPAN 2002年2月~2008年2月
会社員を卒業し、REAL JAPANを創業する。実質ひとりで全ての業務を廻す。リロケーションサービスを全国を対象に行う。秘書的な同行業務を皮切りに、住宅の契約、家具家電の手配など、ひとりの外国人赴任者に対して幅広いサービスの提供に努める。客観的に捉えると、独立後最初の5年間、顧客の数は十分恵まれていたといえる。しかし外国人顧客サービス業務だけを頼りに、既存の顧客だけで満足していたため、売上数字は安定せず。人情に左右され、出張の度に経費がかかり過ぎ、利益は出ず。この時期に、利益を出すための戦術として生まれたのが、社宅借上げサービスと云うノウハウ。後に大きな売り上げをもたらす商品に発展するが、この時点では、数が少ないため安定には至らず。
○ リーマンショックと東日本大震災 2008年3月~2014年3月
社宅借上げサービスが徐々に定着してきて、数も増え始め利益が出始めた時、リーマンショックが起きる。一時的に新規の外国人赴任者が現れなくなる。更に持ち直して売り上げを伸ばした時に、東日本大震災で、多くの外国人が退去する事になる。このふたつの出来事により、外国企業及び外国人赴任者との契約が成立するたびに、その過程を検証し、他に付加できるサービスはないか?相手の要望に広く応えているか?貪欲になり吟味し、次の実務で改善を試みる。社宅借上げサービスは、家具家電・日用品・電気・ガス・水道・ネット・携帯電話・区役所同行などほとんどすべてを網羅する契約に発展する。また単発でのサービスも積極的に受け付ける。スポーツジムの入会手続きや毎月の支払も家賃に組み込み、顧客側の手続きを簡素化する。サービスの例として、ある顧客企業は、携帯電話をレンタルしたいという要望で、携帯電話ひとつだけを準備して外国人赴任者に納めるも、当初のホテル住まいという予定を変更してアパートを探す事になり成約し、それが1ヶ月の間に5件になり、しかも1年後退去する時には、納税の手続きまで任されサポートする。
この時期日本語の指導を依頼される。“ごちそうさまは2度言う”という日本的な慣習を絡めた日本語の指導は好評で2年間続く。
○ 売上に翻弄される 2014年4月~2018年12月
サービスのもうひとつの例として、2014年の顧客は、清掃サービスだけの依頼。アパート探しやその契約は他社が行い、当社は清掃サービスだけを引き受ける。本来ならバカにするなと言って相手にしないが、この時は毎週2日、外国人社員10戸の居室の清掃だけを引き受けた。これをするにあたって清掃の内容を確認するために各社員と個別に話し会い、実際に清掃員を派遣する際に、細かな連絡事項をやり取りするうちに信頼関係が出来る。結果、この先に来日する(11人目からの)社員全員のアパート探しからトータルでサポートを任される。結果30人近くの社宅借上げサービスを提供する事になる。この大口顧客の外国人社員全員に対してはその後、(区役所や銀行といった必須同行だけでなく)免許センター、警察署、中古車屋、自動車レンタル、カーナビ取り付け等、あらゆる同行サービスを、低料金で提供する。
この時期から、メンテナンスイッシューに対する意識を変える。メンテナンスイッシューとは、入居期間中の、アパートの不具合や設備の故障など、苦情や要望に応えるモノ。建物の管理会社に丸投げするのを止めて、また避けようという意識を持たず、いかに積極的に応じるか、ソコに利益を見い出せるか、を探求し実践する。
この30人以上の社宅借上げサービスは2年で、彼らの日本での任務が終わり解約になる。その際、解約になった部屋を家具家電もそのままにしてしばらくキープして、他の入居者獲得に乗り出す。その当時は非常に問い合わせが多かったため、決まるまで賃料を払って入金なしで待つ。結果、単発の顧客は取れたものの、空室の殆どは無駄に終わり、大幅な赤字を生んでの解約となる。銀行からの借り入れなどあらゆる手を尽くして運転資金を調達し、急に少なくなった顧客を扱い、苦しい経営状況を踏ん張る。リーマンショックと東日本大震災で、顧客減少の経験で学んだつもりだったが、このように大口顧客に恵まれ大きな売り上げが2年続いた事で、謙虚さを失い、次なる戦略を用意せずにいた事が最大の敗因だと猛省する。
○ 集大成 2019年1月~2020年3月
じり貧の状態ではあったが、常に顧客企業からの問い合わせに必死になる。この時期とりわけ努力したのは全国でのサポートを要望している、といういつもの要望にプラスして、家賃が非常に安く、家具家電も格安で、サービスをカバーしていこうというチャレンジである。初めての取り組みでもあり、なかなか合意には至らず。2018年お試しで2~3件ほどアパートのみ契約する。家具家電は未だ提供に至らず。2019年この顧客からの強い要望の末、随時契約を任される。途中家具家電も引き受ける事になる。得意の家賃帯では無いため、利益を出すのが困難だったものの、数が多く徐々にその家賃帯での技術も掴み、1年間で、全過程のあらゆる部分の効率改善によって、利益が十分出る事を証明する。メンテナンスイッシューへの取り組みも、年々熟練された上で、この顧客によりさらに磨きがかかる。積極的になればなる程、利益こそ生じるものの、マイナスの手間はどんどん減っていく事が証明される。数多く扱う事で、こちらの専門でない事もどんどん生じ、また依頼を受けるようになる。自動車レンタルや、簡単な荷物の発送、海外への輸送、ホテルの予約、それらすべての見積もり、等、今までなら断っていたことも即見積もり数字を出せるようにする事がいかにビジネスを広げるか理解できるようになる。
○ 世界的新型コロナ 2020年4月~
数多くの社宅契約により安定し、かつ長期的な右肩上がりに向かうであろう見通しは、逆に、経営者個人には良からぬ影響を及ぼす。人間はやはり弱いモノで安定と右肩上がりを約束されれば、傲慢になる。守りに入る。当社にふさわしい仕事以外は断るようになる。リーマンショックと東日本大震災でダメージを受け、しかし這い上がって売り上げに翻弄された経験をもってしても、安定と長期的な右肩上がりの見通しが、経営者を傲慢にさせるのだ。とはいえ幸か不幸か、そのような人情が入り込む隙を、世界的新型コロナが封じる。新規の外国人赴任者が現れない、解約はある、どの外資系企業も同じような状況であり、世界的な現象である事、今まで通りに仕事をすれば間も無く売り上げが無くなる、と気づく。仕事の矛先は、現在外国人が入居している居室に向く。それをひとつでも取り込む事。今までなら利益とは捉えていなかった、入居者の管理、退去の手続き、清掃、残置物の処理、家具家電の撤去・交換、入居者入替手続きなど、改めて、それぞれ単発の商売として見直す。当社が最も技術を誇るホームファインディングサービス(入国時の同行業務から住宅探し契約入居まで)を、主たる仕事と位置付けるのを止める。ビジネスをゼロから捉え、何でもいいからソコに現れた需要にひとつづつ応え、主も従も分けずに臨む事に、ノウハウを発揮する。一見利益が出ない業務に利益を見出す。今までは高度な事を仕事だと思っていたが、改め、ソコにあるモノや縁を扱い、数がたくさんになれば、それらは立派な商売であり利益も出せる、という信念を持つに至る。また高度な技術は、高度な技術と思って接すれば、後に高度足り得ると理解し始めたため、仕事が激増しこれ以上顧客を増やせない状況に至る。
外国人赴任者の入国・滞在・帰国までの全過程におけるコンサルティングサービスを、いまだ日本全国かつテーラーメイドで、顧客(約20社のグローバル企業と2社の不動産管理会社)に提供している。
サポートした外国人赴任者は累計3000人を超える。(2021年3月現在)